「マシュー・ボーンの眠れる森の美女」@東急シアターオーブ感想~古典美からセカイ系ボーイ・ミーツ・ガールへ(2016.9.25)
Bunkamuraル・シネマでボーン版「眠れる森の美女」を観たのは去る4月のこと。
マシュー・ボーンの眠れる森の美女(映像)、観た!すーごーいー!本当に本当によかった! 正直、ゲイ描写でおなじみの白鳥の湖より私ははるかにこっちの方が好きだ!19世紀末から21世紀まで、100余年のダンス史を超えて紡がれる、ボーイ・ミーツ・ガールの物語。
— かげむし (@kage_mushi) 2016年4月5日
この作品が表現しているもの、目指しているもの、舌をのぞかせて愉しげにたくらんでいるものが、自分のど真ん中にすとーんと落ちてきた感覚があり、それはなんでだろうという疑問をずっと巡らせつつ、生で観られる日を楽しみにしていました。
で、たまたま、その前夜にこれを観てしまったもので。
もしかして自分、セカイ系の文脈のなかでボーン版「眠れる森の美女」を観ていた…!?
ということにハッと気づかされたのでした。
(こんなキャッチを見てしまいますとなんか余計にこう…)
古典版「眠れる森の美女」は様式美に徹した作品
古典バレエ「眠れる森の美女」は、端的にいってしまえば、「様式美」の作品。
チャイコフスキー三大バレエの他の作品でいえば、「白鳥の湖」には愚かな男と不遇な女とのドラマチックな恋愛があり、「くるみ割り人形」には一夜でしゅうっと消えてしまうクリームの泡のようなはかなさがある。けれど、「眠れる森の美女」には、どろどろした情念もふんわりした夢も、生々しい苦しみも喜びもありません。おとぎ話の国からやってきた登場人物たちは、みんなドールハウスのなかのお人形のような表情と身のこなしで、型に準じた役目に徹し、傷ひとつない美の王国を作り上げる。
眠りについたオーロラ姫は、物語の中盤で突然登場した、なんのバックグラウンドも持たない王子のキスにより目覚め、いかなる感情の表出もなくそれを受け入れます。次の幕はもう結婚式です。
かつて「白鳥の湖」を同性愛とコンプレックスの物語に造り替えたマシュー・ボーン。
彼が、チャイコフスキー三大バレエの最後のターゲットとして「眠れる森の美女」をぶっ壊しに来たのも当然のことといえるでしょう。
ボーン版「眠れる森の美女」は「ボーイ・ミーツ・ガール」をやってしまった!
全体を飾る妖しげなゴシック風テイスト、従来はオール女性キャストである妖精役に男性キャストを混ぜ込むことによるジェンダーの撹乱、そして姫が目覚める「100年後」を21世紀に設定したことなど、……
マシュー・ボーンが「眠れる森の美女」を破壊するために用意した道具は数えても数え切れないほどですが。
やっぱり王子(=姫にキスする男子)の存在に着目し、その存在をクローズアップさせたのがいちばんのポイントといえるでしょう。
しかも、その彼は、姫とは身分違いの幼馴染(レオという名の狩猟番)。
身分の差がもたらす愛の悲劇は「ジゼル」など古典以前のバレエ作品にも登場するので、決して珍しいものではありません。
けれど、恋愛につきものの障壁を、あえて物語のなかに取り戻したことによって、骨董品のようだったドールハウスの窓が開いて、みずみずしい風が吹き始めるのです。まるで物語の序盤、花をたずさえてこっそりと姫の部屋にしのびこむレオ自身のように。
その結果。「眠れる森の美女」のなかでも様式美中の様式美ともいえるローズ・アダージョが、まさか、「ロミオとジュリエット」のバルコニー・シーンを彷彿とさせる、恋のよろこびを謳い上げる至福のワンシーンになるとは……!
しかし、……カラボスの息子カラドックの罠により、眠りについてしまった姫。
その前にたちはだかる、時間という蔦のからまった門。
「彼女」が目を醒ますのは100年後。
しかし、100年も経ってしまえば、当然ながら、「彼」はもう生きていない。
いったいどうすれば、彼は長い年月を越えて、この門を越えて、姫に会いに行ける?
キスをして彼女を目覚めさせることができる?
ああもう、なんという「セカイ系ボーイ・ミーツ・ガール」的としかいいようのない煩悶なのでしょう(笑)
そこに導き手として登場するのが、古典版では「リラの精」であるところの「ライラック伯爵」。
(余談ですが、この伯爵(男性)がとにかく中性的で妖しくセクシーで、マシュー・ボーンらしくもあり、20世紀以降のバレエがゲイカルチャーと共にあったことをいま一度思い起こさせてくれるのです)
打ちひしがれるレオの喉めがけて、伯爵がヴァンパイアの牙(!)を剥き出した瞬間、物語は100年後の21世紀へとジャンプ……!
その後のストーリー展開がネタバレ過ぎるのも何なので省きますが、レオの存在をクローズアップさせたことを起爆剤にして、幕が降りるギリギリまで、どんどんドラマをひっくり返していくさまが、実に鮮やか。
キスして一度は姫を目覚めさせたと思いきや、カラドックの一味に首根っこ掴まれて門の外(=セカイの外)に追い出されてしまうのとか、ほんと、お見事の一言に尽きます。
ハリウッドの教科書にでも載っていそうな、非常にイマドキなドラマ作りという感じもします。
古典以降のバレエ振付家は、大雑把にいうと、物語を重視する派としない派に分けられます。前者の現役の振付家というとジョン・ノイマイヤーが有名ですが、私自身は、よりザッツ・エンターテイメントに徹しているマシュー・ボーンの方が好きかもしれないです。
実は「白鳥の湖」は2004年に生で観て、ユニークだとは思いつつそこまで深いツボにはハマらなかったので、「眠れる森の美女」にドハマリできたことは、意外でもあり、嬉しくもあり…でした。
※シネ・リーブル池袋では、10月~11月にボーン版「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「カーマン」が上演とのこと!
ところで、「結ばれない幼馴染だったふたりが、時空を超えることによってはじめてハッピーエンドフラグを得る」というのがボーン版「眠れる森の美女」の要約だとするならば、
なんかこれって、新海誠の「秒速5センチメートル」から「君の名は。」への軌跡のようでもありますね。(むりやり)