かげむし堂

音楽と、音楽家と、音楽をめぐる物語について。

「ベートーヴェンの会話帳」──終わりのない対話(2007.03)

10年近く前(大学院時代)に書いたエッセイ。読み返したらおもしろい部分もいくつかあったので載せてみます。

 

 

 

ベートーヴェンの会話帳」の本来の目的は、耳の聞こえなくなった晩年の楽聖のために、訪問客たちが筆談で意思疎通を図ることにあった。全部で一三九冊残されたその帳面は、今日「伝記資料」と呼ばれ、ベートーヴェンの活動状況を知る上で最も欠かせない素材のひとつと見なされている。もったいぶるまでもなく、これは当然のことだ。会話帳は、ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェンという音楽家について、それなしでは決して知りえなかったであろう数々の新事実を明らかにしてみせた。もし会話帳がなかったら──その仮定は必然的に「もしベートーヴェンの耳が聞こえていたら」という不毛な議論を誘発することになるだろうが──我々が読むことのできるベートーヴェン伝は、ずっと精彩を欠いたものになっていたことだろう。

 

 しかし、会話帳には、他の伝記資料には決して存在しえない、ある致命的な欠点がある。実は、会話帳の中には、肝心のベートーヴェン自身の言葉がほとんど残されていないのである。ベートーヴェンの難聴は成人後に発症したものであり、彼は完全に聴覚を失ったのちにも、ごく普通に発声することが可能であった。ゆえに、会話帳を介したコミュニケーションは、ベートーヴェンの「話す」行為と対話者の「書く」行為との不規則な連続によって成立していた。こうした独特な意思疎通の形態は、結果的に、この伝記資料に大きな悲劇をもたらすことになる。今日、どれほど会話帳を精読したところで、我々はもはや天才自身の言葉を直に知ることはできない。

 

 だが、我々がこの奇怪なテクストを前にどれほど苦悶しようと、かつてここに言葉を書き込んでいたベートーヴェンの対話者たちに罪はない。会話帳に残された言葉は、結局のところ瑣末かつ中途半端な日常の断片でしかないわけだが、その内容の退屈さを嘆き、彼らの凡庸ぶりを哀れむのは、赤の他人だからこそ可能なただのわがままに過ぎない。部屋を好き放題に散らかし、便器の始末を怠り、ベッドに虫をわかし、家政婦に卵を投げつけ、足を踏み鳴らし、大声で歌う難聴の音楽家を懸命になだめすかしつつ、彼らがいかほどの諦念と絶望を甘受しながら「今日はお天気がいいですね」だの「ビールとワイン、どちらを飲みますか」だの、取るに足らない言葉ばかりを毎日毎日せっせと書きつがねばならなかったかということは、充分に想像しておくに足るだろう。我々の前には、ベートーヴェンの死後一八〇年を経てなお、奇跡的な経緯でもって、一三九冊分もの小汚い紙束が残されている。しかし、音楽の教科書のベートーヴェン肖像画にヒゲを落書きすることに何の躊躇いも覚えない幸福な子供時代を過ごしてきた我々が、その内容の稚拙さについて当事者たちを非難する権利は、おそらくないだろう。ひとりの人間が、社会の中で、どれほどくだらなくて煩雑な応酬を日々こなしていかねばならないかは、現代に生きる我々こそが身をもって悟っていることだ。書き手にとっての会話帳は、その退屈な日常を鮮明にえぐり出すために存在する文学作品でも、またその退屈な記録を後世に残すために存在する伝記資料でもなく、その退屈な日常を生きるためにやむをえず存在する、粗末な生活用品に過ぎない。

 

 もちろん、今日のベートーヴェン伝に登場する有名なエピソードのいくつかは、対話の断片として会話帳の中に散りばめられている。交響曲第九番の初演の経緯も、晩年の弦楽四重奏曲の創作過程も、テクストの上にはっきりと現れているし、それらをめぐって交わされる対話は、たとえ不完全な形態であれ、西洋音楽史が激動するドラマチックな瞬間を我々に体感させてくれる。しかし、そうしたごく一瞬のときめきもまた、ページを重ねるにつれ、終わりの見えない漠然とした日常の底に沈み、そしてあのビールかワインかというどうでもいい応酬の中に呑まれていく。会話帳は、ベートーヴェン自身の死をもって、一八二七年三月に断絶するわけだが、西洋音楽史の古典時代を大団円で完結させたその死さえも、ついに、会話帳という奇怪なテクストを終わらせることはできない。残された数千数万の言葉たちは、不安を抱えながら、紙の上で永遠にベートーヴェンに答えを求め続ける。「ビールとワイン、どちらを飲みますか」と。徐々にカビに侵食され、茶色く焼け、保存者の手によって破棄・改竄され、その事実を隠蔽したまま図書館に売り飛ばされ、二度の編纂作業とその中断に耐え、第二次世界大戦の戦火に苦しみ、盗難の憂き目に遭い、筆跡鑑定と勝手きままな解釈に侵され、それでもなお、対話の断片はなお片割れを求め、未完という宿命を負い続ける。そこには、対話だけが厳然とありながら、ついに、その終わりというものがない。

 

 この言語社会研究科に籍を置いて、ベートーヴェンなんかを研究して何が面白いのかと問われたことは山ほどあるが、「ベートーヴェンの会話帳」なんかを研究して何が面白いのかと問われたことはほとんどない。辺境人の集積であるこのような研究科においては、もはやルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェンという音楽家は忌まわしき近代の代名詞でしかないが、片やその副産物たる会話帳というものは、何か独特な色気を放つ前衛的な研究対象のように受け取ってもらえるらしい。実際のところ、私がこれを自身の研究対象にしようと思い立ったのも、こういうわけの分からない「テクスト」らしいテクストで自身を武装しておけば、たとえ何を研究対象としている人とばったり出くわしても、一応はどんな話題の展開にも耐えうるだろう、と情けなくも打算したからに他ならなかった。実際のところ、この会話帳ほど、どんな思想の装丁にくるんでもそれなりに洒落になりそうなテクストを、私はいまもって他に思いつくことができない。「音楽」から「学際」という次元に自由自在にシフトできて、挑発的で、あらゆる領域に媚びまくっている。右も左も分からない修士の一院生にとって、それは確かに、ある種の「麻薬」的な魅力に満ちている研究素材のように見えた。

 

 だが「研究」という名のもとに会話帳を繰り始めた私は、いつしかそんなまわりくどい自負心をまったく放棄してしまった。全九年分、全集にして十一巻の「Ludwig van Beethovens Konversationshefte」を前に、私が徐々に感じはじめたのは、もっと素朴でやるかたない嫌悪感のようなものだった。それは、たとえばベートーヴェンが自分の友人の奥さんとセックスフレンド的な関係であったらしいとか(頼むからそういうことは帳面になんか書かないでこっそりやってほしい。何で現代の携帯電話にわざわざシークレット機能がついていると思っているんだ?)、あるいは会話帳に登場する人物たちがコミュニティの中で女子中学生のグループのような陰湿なイジメをやっているとか(そういうことはもっと勘弁してほしい。何で二百歳も年上のオッサンたちの言動を見て自分の思春期をまざまざと思い起こさなきゃならないんだ?)、そういうことへの嫌悪感ではない。もちろんそれが興味深い秘話でないとは思わないし、ベートーヴェンの不道徳な行為は、ワイドショーや週刊誌で取り沙汰される芸能人の不道徳な行為と同じ程度には不潔感があって、まただからこそ面白いものだ。「会話帳」を読む上での最大の楽しみは、日常の中に、日常の平均よりもほんのわずかだけ突出した非日常を見つけて、それを片恋の相手の思わぬ欠点のように喜んでみせるということにしか、見出しようがない。けれど、柱の陰でスキャンダルを切望する新聞記者のごとく、身も蓋もないネタ話を求めてテクストの上をさまようことに、いったいいかなる意義があるのかと問われれば、私には何とも答えようがない。第一、そんなことをあれこれあげつらうのは、「アイドルはトイレに行かない」というあの超古典的な都市伝説を信仰するようなものだ。実に二〇世紀以降のベートーヴェンの伝記作家は、楽聖もトイレに行くという事実を証明したいがために、会話帳をほとんど盗聴器と同じやり方で利用したわけではあるが、それは単に芸能レポーターが唾を撒き散らしながら解説するゴシップを、学問とか研究とかいう巧緻なレトリックに言い換えてみただけのことに過ぎない。

 

 私は決して、道徳的な観点からこのような批判を加えているわけではない。確かに、ベートーヴェンの不道徳な行為と、その不道徳な行為が書かれたプライベートなテクストをわざわざ発掘して大騒ぎする行為は、やはりどちらも同じ程度には不道徳な要素を含んでいるだろう(この「会話帳」の初期の所持者であり、最終的には数百箇所を改竄するに至ったアントン・フェリックス・シンドラーという人物を私がどうしても憎みきれないのは、彼が改竄のプロセスの中で、ベートーヴェンの性事情に関する一件を塗りつぶしている痕跡があるからである。その箇所は、年月を経てあろうことか再び読めるようになってしまっているのだが、果たして性事情を塗りつぶす行為と、塗りつぶされた性事情にしつこく目をこらす行為と、いったいどちらがどの程度に不道徳といえるだろうか? シンドラーは大御所スターの威厳を身を挺して守る敏腕マネージャーとしての役割を果たそうとしたのであり、それゆえに、会話帳を一次資料から二次資料に戦略的に劣化させたのではなかっただろうか?)。しかし、いずれにせよ私の抱いた嫌悪感は、そんなこととはおよそ無関係だ。

 

 結局のところ、それは、ベートーヴェンに対してでも、ベートーヴェンの対話者に対してでも、研究者に対してでもなく、こんな不気味なテクストの「読者」であろうとする自分自身に対する嫌悪感であるかもしれない。正直言って、気持ち悪い。とんでもなく、気持ち悪い。だって、どうして私が、こんなものをわざわざ読まなきゃならないんだろう? 鉛筆を右脇に、ドイツ語の辞書を左脇に置き、私は全集のページを繰る。代名詞の正体を見出し、隠語の意味を憶測し、穴だらけの言葉の陰に息をひそめるベートーヴェンの巨大な虚像をイメージする。そして私は、知らず知らずのうちに、断片が問いかける質問の中に巻き込まれていく。ベートーヴェンの言葉が存在しない。それは、読者たる私が、自分の想像の妥当性を確信しなければならないということに直結する。二〇世紀以降のテクスト論の目標のひとつは、文字における権力を筆者から読者へ明け渡すことにあったのだろうが、この会話帳というテクストの前には、もはや、圧倒的に読者しかいない。読者は、対話の断片に眠る死人たちをひとりひとりたたき起こし、そこに生身の人間同士が対峙する世界を構築しなければならない。そして、しょせんは自分の頭の中で完成されるに過ぎないその世界を、一八〇年前にウィーンの街の一角で彼らが現実にいとなんでいたあの退屈な日常そのものであると信じなければならない。それは単に「作品」として完成されたテクストを読んで一定の感慨を得る行為とは、まるでわけが違うのだ。

 

「ザイベルトは、数時間静かに横になっていろとあなたに懇願しました」ベートーヴェン死の年のある日、病床の音楽家に向かって側近のシンドラーが言う。医師ザイベルトの言葉を代筆したのだろうか。もしかしたら、ベートーヴェンは医師との約束を破り、いつものように楽想を探して部屋をうろつき回っていたのかもしれない。その光景が頭に浮かぶ。「いまは仰向けですよ」シンドラーは続ける。そう言うからには、おそらく、ベートーヴェンは無情にもベッドに引きずり戻されたのだろう。「午後には右向きに寝ることができます」「今日はお加減がいいですね」「カーテンを閉めるのが最適でしょうね、そうすればあなたは太陽に煩わされることはありません」言葉の通り、ここでおそらくカーテンが閉められたことだろう。しかし、ベートーヴェンは何と答えただろう。ご機嫌に礼を言っただろうか。それとも、不平を洩らしただろうか。あるいは自分は太陽を浴びたいのだとつぶやいたかもしれない。自分はシュテファン大聖堂の尖塔を見たいのだと喚いたかもしれない。おまえたちは俺から音のみならず光さえも奪うつもりかと泣いたかもしれない。だがどちらにせよベートーヴェンの言葉は黙殺された可能性が高い。話題はそこで移り変わっている。──片や、病身の楽聖の対話者たる男は、いったい何を考えていたのだろう。彼はもうベートーヴェンが死ぬことを予感していただろうか。それともまだ回復を期待していただろうか。いずれにしても彼は何がしかの絶望に耐えていたに違いない。小さな帳面を握りしめ、カーテンの隙間からこぼれる真冬の陽光に目を細めながら、彼は考えていたのかもしれない。いまはただ、いつ終わるかも分からない日常の中に握られているこの帳面が、いつの日か伝記資料として大勢の読者に受容されるようになる未来のことを。そして、この絶望を誰にも悟られぬために、彼が慕ったベートーヴェンの正体を誰にも見破られぬために、こっそりと自らの手で塗りつぶすことになる数百の言葉の群れのことを。──しかし、それもまた私が読者だからこそ、自由で身勝手で気持ちの悪い読者だからこそ、想像できる地獄絵図に過ぎない。だから想像は想像のままだ。テクストはディテールの膨張をやめてまた簡素な文字の断片に戻る。答えは永遠に見つからない。あるのは無数の可能性だけだ。しかし、我々はその可能性から決して逃れることはできない。対話を終わらせることはできない。その状況を、果たして「麻薬」と称しうるものかどうかは分からない。しかし、少なくともそれは、麻薬患者が、現実と妄想のはざまに転げ落ちながら見る悪夢には似ているかもしれない。

 

引用

Karl-Heinz, Köhler, ed. Ludwig van Beethovens Konversationshefte. Deutschen Staatsbibliothek Berlin, Deutscher Verlag fur Musik, Leipzig, 1968-2001

 

 

一橋大学大学院言語社会研究科紀要別冊1号(2007年3月刊) に掲載)

 

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