年の暮れのかきすて~2017年と、そのちょっと前を振り返って
2017年よりちょっと前の、個人的な話。
かなり個人的な話をしてしまいますが、私には数年前に抜け殻のようになってしまった時期がありました。
抜け殻っていっちゃうと実情とは若干違うんですけど、仮にそういうことにしておきます。
大きな仕事が手を離れて、ふっと両手があいてしまったときこそ、地道に自分を育てたり、自分の身の回りを大事にしなければいけないのに、それをおおよそ1年にわたって放棄してしまった。
あの時間が自分にとって必要だったとはいまだに思っていません。失敗にも、していい失敗と、してはいけない失敗がある。「あのときがあったからいまの自分がいる」ということばで間違いを正当化するのは、更生した不良少年を過剰に持ち上げるのと一緒(笑)。ダメなものはダメです。100%ダメ。まあ、人間はこういうふっと無になった瞬間がいちばん要注意、ということだけは教訓としておぼえて、残りは黒歴史ボックスになんとか押し込めました。おさまるくらいのサイズでよかった。
で、私なりに、どうやってこのろくでもない状況を乗り越えようかすごく考えました。
2年前、2015年の初冬のある日。近所の図書館に併設されたカフェで、私ははじめて自分が考えていることを、この件でいちばん迷惑をかけてしまったとある人に打ち明けたのでした。
「すごくいいと思う」その人はすぐに賛成してくれました。さんざん意味不明なことを口走って、山ほど悩ませてきたあげく、何わけのわからんことを言い出すんだという感じだったと思うのですが、その人は私の意志を、ごく冷静に、でもあたたかく受け止めてくれたのでした。「いいんじゃないかな」
そうしようと決めてから空気がちゃんとついてくるにはしばらく時間が必要で、明けた2016年にはとりたてて何があったとはいえないけれど、それでも年の暮れにはちょっとそれらしき追い風が吹き始めたりもしたのでした。
自己啓発的なワードは使いたくないしそれに自分をゆだねたくはないと思っています。でも、引き寄せのナンチャラ的なものにもし多少の信憑性があるとしたら、私の、なんとかここから脱出したい、別の島に漕ぎ出たいという願いは、オールの役目を果たすくらいには切なるものだったようです。
若さ特有のとんがった思考力や文章力は、大人になったら消えてしまう魔法のように自分の手から失われつつあって、かといって熟練というには年齢的にも能力的にもほど遠い。
ちょうどいま30代のどまんなかの年齢なんですけど、こんな年齢的にも能力的にも中途半端な状態にありながら、いったい何ができるというのだろう。
それでもいまここで正しくあがいておかなければ、正しく伸びることも正しく老いることもできない。
そんな思いとともにやってきた2017年は、いろいろな方との幸運な出会いもあって、少し「序章」っぽい過ごし方ができたかな、という気がしています。
そして、2017年の振り返り。
2017年は、音食紀行さんのイベントに3回もゲストとして参加させていただいたことが、なによりありがたい経験でした。
「偏食家ベートーヴェンの食卓」はレシピ探しの段階からかかわり、「ウィーン会議」はゲストスピーカーのひとりという形で参加。
2017年6月3日 偏食家ベートーヴェンの食卓~1820年代ウィーン(第1回)
2017年7月8日 偏食家ベートーヴェンの食卓~1820年代ウィーン(第2回)
2017年12月16日 ウィーン会議~会議は踊り、食は進む
子どもの頃からしゃべることへの苦手意識が強くて、えいやっと心を奮い立たせながらのプレゼンテーションでしたが「こんな私でも肉声で伝えられることはあるのかもしれない」という、小さな自信を持てたような気がします。
そして、開催にあわせて、音食紀行さんのレーベルから2冊の同人誌を発行。
『偏食家ベートーヴェンの食卓』では、ストーリー+編集+デザイン
『ウィーン会議~会議は踊り、食は進む』では、コラム+編集+デザインの役目を務めさせていただきました。
『偏食家ベートーヴェンの食卓』のスピンオフ短編『大食漢ホルツの朝食』も誕生。
※ちなみに『偏食家~』+『大食漢~』2冊セット販売もあります!
『偏食家ベートーヴェンの食卓』は、すでに5刷。同人イベントや音食紀行さんのイベント、通販(BOOTH)で頒布されており、驚くほど多くの方にお手にとっていただいているようです。
私も、これらの本を抱えて文学フリマに参加しました。なにげに同人イベントの単独参加ははじめて!
思った以上にコミュ力が鍛えられた場でした……(;・∀・) ああ、修行あるのみ。
それから春秋社さんのPR誌『春秋』での「フェルディナント・リース物語」の連載。
「研究者ではない私が、有名ではない音楽家のことを、老舗の出版社のPR誌に書く」というで、どういうスタイルでやっていけばいいのか当初は戸惑いましたが、編集さんにたくさんの助言をいただきながら取り組みました。残すところあと2話。どの本を読んでも、終わりにいくほどぞんざいな描写になりがちなリースの人生を、ちゃんと最後まできっちり描きたいと思っています。
来年、2018年はというと
とりあえず、ひとつ大きな新しい企画が待っていて、すでにその準備中です。ぶじに終えて、ご案内できる日が来ることを願っています。
実際のところ私には、あまり時間がありません。
定時を少しはみ出る程度に働いてるし、健康なのはとりえだけど7時間がっつり寝ないとすぐに死体みたいになるし、バレエのレッスンにも行きたいし、くだらないまとめをネットでダラダラ追うのも好きだし、読みたいし観たいし旅行にも行きたい。
でも、多くの同人作家の方々も、育児中のお父さんお母さんも、1日10時間ピアノのレッスンをしたあとに作曲をしていたカール・チェルニーも、みんな限られた時間でやりくりして、何かを生み出している。
私はそういうある種のディレッタンティズムとでもいうか、専業の作り手ではないということの弱みを、好きという想いと、時間とのギリギリバトルを通して、新しい強みに変えていくようないとなみがとても好きです。
2年前、図書館のカフェで私が打ち明けたのも、(当時はその自覚がなかったけれど)まさにそうした人たちに自分もつらなりたいという思いだったのかもしれません。
名乗る肩書きとかは何もなくて、名乗りたい肩書きも(いまのところ)何もなくて、少なくとも「フェルディナント・リースについてはとりあえずこの人に聞け」という人にはなりたいのだけど(これだけははっきりしてる)、自分のやってることを研究と呼ぶのには粘り強い拒否感があるし、なんだか自分でもよくわからないけど、でも、強いていえば、16歳のときの自分が見たら喜んでくれるようなことをたくさんしていきたい。
そんな風に思っています。
ああ、なんでこんなにいろいろぶっちゃけているのか。
でも、ブログあんまり更新できてないし、この先半年くらいもあんまり更新できなさそうだし、1年にいっぺんくらいはこういうのもいいだろ。
年の暮れのかきすてです。
大人なのでいろいろ交渉や調整も必要で、それは来年の課題にもなりそうですが、自分にとっていちばん大事なものは何なのかつねに考えながら歩んでいきたいと思います。
2018年も、どうぞよろしくお願いいたします。