かげむし堂

音楽と、音楽家と、音楽をめぐる物語について。

舞台『No.9 -不滅の旋律-』ベートーヴェンファン目線からの5つのみどころ

舞台『No.9 -不滅の旋律-』(再演)、いよいよ明日11月11日から開演ですね!

www.no9-stage.com

 2015年にいそいそと初演を観に行って感激した「ベートーヴェンファン」勢のひとりとして、あらためてこの舞台の「ファン目線からの」みどころを書いてみました。
(核心的なネタバレはありませんが、事前情報をみたくないという方は鑑賞後にお読みいただければ幸いです)
(演出・脚本など変更になっている場合があります)

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初演時にいそいそと撮った写真(懐かしい)

1 ピアノ

ベートーヴェンが生きた当時は、ピアノという楽器が爆発的な進化をとげた時代。
現代でいうところのパソコンやスマートフォンの進化のようなスピード感で、ピアノはより音域が広く、より音が大きく、より頑丈な楽器に変貌していきました。

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こうした18-19世紀のピアノは、現代のピアノと区別して「フォルテピアノ」と呼ばれています

当時のピアノには「イギリス式アクション」と「ウィーン式アクション」の2種類があり、それぞれ音を出すための構造が違います。ベートーヴェンは両方のピアノを持っていましたが、お付き合いが深いのはやはり後者の「ウィーン・アクション」。「もっと音域を広く」「もっと豊かな音を」……ベートーヴェンのさまざまな口出しは、ピアノの進化に直接的な影響を与えました。

『No.9』がピアノ工房のシーンから幕を開けるのも、ヒロインがピアノ工房とゆかりのある人物なのも、ちゃんと設定として必然性があるわけです!

なお、登場するシュトライヒャーは実在のウィーンのピアノ・メーカー。音を聴いてみたい方はぜひこちらを↓ 現代のピアノとの音の違いを味わってみてください!

 

www.youtube.com

ナネッテ・シュトライヒャー製によるフォルテピアノ

2 警察

『No.9 -不滅の旋律-』には、警察官であるフリッツ・ザイデルという人物が登場します。
ウィーンの警察には、大きく分けて「公衆警察」と「秘密警察」の2つがありました。
「公衆警察」は、交通や治安や流通をとりしまる、いわゆる一般的なおまわりさん。
一方の「秘密警察」は、検閲や監視によって市民をとりしまる内務警察。1814-15年のウィーン会議を機に強化され、過剰な検閲に音楽家たちは苦しめられました。
オペラの台本や歌詞、はては個人的な手紙までも開封され、検閲局のチェックを受けさせられたそうです。
彼ら秘密警察官は私服警官さながら一般市民のふりをして生活に溶け込み、ほかの市民の行動を監視しました。ちょっとでも反政府的な発言をしようものなら即逮捕。

ベートーヴェンはというと、あまりに有名人だったのと、問題発言が数え切れないほど多かったために「アイツはほっとけ」的な扱いを受けていたそうですが(;・∀・)、それでも秘密警察の存在が窮屈だったことはいうまでもありません。
こうした背景を踏まえると、舞台上でのフリッツという人物の動きがより興味深く見えてくるかもしれません!

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反社会的人物として逮捕されることはなかったものの、あまりにあやしい格好で歩いていたために、ただの不審者として逮捕されたことはあったベートーヴェンなのでした…(;・∀・)

3 ウェリントンの勝利(戦争交響曲

『No.9 -不滅の旋律-』がおもしろいのは、この曲をスルーせずにちゃんと取り上げているところです!

ウェリントンの勝利またはヴィットリアの戦い(戦争交響曲)」Op.91(トラック1-2)

なにせこの曲、ベートーヴェンの死後は「世紀の駄作」とみなされることが多く、演奏機会もまれ。録音はいくつかありますが、1~9番の交響曲とくらべると圧倒的に少なく、「触れちゃいけない黒歴史」のように言われることも少なくありません。
ナポレオン戦争の1シーンを活写したこの作品(正題「ウェリントンの勝利またはヴィットリアの戦い」)。そもそもは、ヨハン・ネポムク・メルツェルが発明した自動演奏楽器「パンハルモニコン」のために作曲され、のちにオーケストラ作品になりました。

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パンハルモニコン

進軍を表す太鼓とラッパが鳴りひびき、戦争のドンパチがひとしきり描かれて、最後はイギリスの勝利をうたう高らかな凱旋のメロディで幕を閉じる…というこの作品。た、たしかに、音楽というよりネタが先行したような作品。「安っぽい」といわれるのもやむなし!?

しかし、戦勝ムードを煽るこの作品、当時は市民に大ウケ。ベートーヴェンの生前は、彼の代表作のひとつであり最大のヒット作として知られていたのです。(その世間の反応に対するベートーヴェンの反応も、『No.9』のみどころのひとつです)

4 家族関係

『No.9 -不滅の旋律-』には、弟のカスパール・カールニコラウス・ヨーハン甥のカール、そして父のヨハンが登場します。

ベートーヴェンと家族をめぐる問題は、20世紀におけるベートーヴェン研究の主要なテーマのひとつでした。

ベートーヴェンはなぜあんなに気むずかしい性格になってしまったのか?
なぜ甥に執着して監視したのか?
なぜ恋愛がうまくいかなかったのか?…

これらの謎を解く鍵は、幼少期の父親との関係にある。そんな精神分析研究がひところさかんに行われました。
20世紀を代表するベートーヴェン伝であるメイナード・ソロモンの『ベートーヴェン』も、その研究に立脚したものです。

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メイナード・ソロモン『ベートーヴェン』

 『No.9』でも、ベートーヴェンと父ヨハンとの関係が彼の人生にどういう影響を及ぼしたか、丁寧に描かれているのでぜひご注目ください。

5 ヒロイン

『No.9 -不滅の旋律-』のヒロインは、架空の女性マリア・シュタイン(今回は剛力彩芽さんが演じます)。
ベートーヴェンに尽くす役どころですが、ただメイドのように家事をこなすにとどまらず、またベートーヴェンと安易に恋仲になろうとしません。ちょっとだけネタバレになりますが、マリアは中盤、「私はメイドじゃない。ベートーヴェン代理人です」とはっきり宣言しています。

ただの女の子じゃない、仕事の協力者です、という宣言。

こうしたヒロイン像、実はベートーヴェン創作史(?)に系譜があります。2006年の映画『敬愛なるベートーヴェン』(アニエスカ・ホランド監督)のヒロインも、写譜や指揮の代行をつとめてベートーヴェンの仕事を助けますが、恋仲にはなりません。

movie.walkerplus.com

 ちなみに、この映画のヒロインの名前は「アンナ・ホルツ」。架空の人物ですが、明らかに名前の元ネタがあります。それがこの人です。

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カール・ホルツ

ベートーヴェンの秘書をつとめていた人ですが、「男性」なんですね。

ベートーヴェンは、しばしば若い男性を手元に置き、日常のことや出版・作品の上演の手続きなどの手伝いをさせました。ホルツのほかにも、弟子のフェルディナント・リース、秘書のフランツ・オリヴァアントン・フェリックス・シンドラー(※)といった人物がいます。
ベートーヴェンというと女性との恋愛関係がよく語られがちで、「この曲は失恋から生まれた」という解釈がよく行われたりするわけですが、彼の実務を直接的に助けていたのはむしろ男性たちであったわけです。

マリア・シュタインやアンナ・ホルツのような「恋仲にならない」かつ「仕事の役に立つ」女性は、ベートーヴェンの仕事の実態を描く上ですごく今日的なヒロインだなあと思います。
フェミニズムの洗礼を受けたヒロイン像ともいえますし、こういった、時代にふさわしいキャラクターを登場させるところが、私が『No.9 -不滅の旋律-』が好きな一番の理由です!

 

……というわけで、再演も心待ちにしている一ベートーヴェンファンから、手前勝手な5つのみどころをお届けしました。
美しく才能にあふれ、人間的にはダメダメな稲垣吾郎さんのベートーヴェンに会えるのが楽しみです♪

 

(※)このブログ記事を書いた人は、10月に単著『ベートーヴェン捏造 - 名プロデューサーは嘘をつく』を刊行。5で取り上げたような、ベートーヴェンと彼の仕事を助けた「男性たち」との関係を描いた本です。よろしければ是非↓

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