かげむし堂

音楽と、音楽家と、音楽をめぐる物語について。

アントン・フェリックス・シンドラーのピアノ・ソナタについて~『ベートーヴェン捏造』と「『ベートーヴェン捏造』 ピアノ・コンサート」のあとに

 (この記事は『ベートーヴェン捏造 - 名プロデューサーは嘘をつく』のネタバレを含みます)

 

ピアノ・ソナタ ヘ長調」は、アントン・フェリックス・シンドラー1833年6月1日にミュンスターで完成させた音楽作品である。

 

浄書譜はこちら

da.beethoven.de

 

 全3楽章。他のシンドラーの音楽作品とともに、ベートーヴェンハウス・ボンに収蔵されている。作品番号はないが、同館のヨーゼフ・シュミット=ゲルク博士が手がけたリストには「13」という番号が付けられている。

 これまでに録音はない。私が調べたかぎり、演奏記録もない。2019年2月16日にタカギクラヴィア松濤サロン(東京・渋谷)で内藤晃さんが行った第1楽章の実演は、おそらく日本初演とみていいだろう(世界初演かもしれない)。

 

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 さて、この作品の技術的な稚拙さは、客観的にみて否定しがたい。その稚拙さは、おそらく、「ベートーヴェンのスタイルを真似していること」に起因している。

 ベートーヴェンの初期~中期のソナタにみられるさまざまなインパクト(音の爆発、劇的な転換、盛り上げなど)を表現しようとしているのはわかるが、それが一貫して空回りしている。内藤さんが指摘されていて私もなるほどと思ったのだが、冒頭部分。空虚5度と呼ばれる和音が用いられている。『第九』の第1楽章冒頭によく似ているが、「本家」と比べると緊迫感がない。そもそもピアノであの緊迫感を表現するのが難しいのだが、難しいなりの工夫をこらす技術がないので、形になっていない。「スタイルを真似している」と書いたが、より正確にいうと「ちゃんと真似できていない」のだ。

 こんな辛辣な言い方をしてしまうのは、偉大な楽聖様を真似るなんて愚かなやつめ、と彼を誹りたいからではない。たぶん、ベートーヴェンのスタイルを真似るのは難しいのだ。前~同時代の他のピアノ系の作曲家────たとえばクレメンティやフンメル────と比べても。もし後者を真似ろというお題だったら、シンドラーも、より小ぎれいで安定感のある作品を書けたのではないだろうか。*1

 加えて忘れてはならないのは、シンドラー自身がこのソナタの稚拙さをしっかりと自覚し、コメントまでも残しているという点だ。2月16日のピアノ・コンサートでは(本のネタバレを避けるためでもあったが)そのあたりの説明が不足していたため、結果として作品の欠点を挙げるに終止してしまった。これはひとえに私のトークスキルと機転が欠けていたせいであるが、このピアノ・ソナタを聴く意義は、シンドラーが抱いた「自覚」の中にこそあるように思う。

 

「このソナタ、特に第1楽章は、ベートーヴェンのスタイルをなぞって書こうとしたものだ。なんという思い上がりだろう!ほんとうに、罰に値する高慢さというべきか!俺はいまではこの作品に対してそういう考えだ。」

1854年9月  フランクフルト・アム・マイン アントン・フェリックス・シンドラー

ベートーヴェン捏造 - 名プロデューサーは嘘をつく』P.305より引用

 

  このコメントは、デジタルアーカイブで直筆を見ることができる。表紙の右の部分だ。いかにも彼らしい神経質そうな字で、縦4行にわたってこの文章が書かれているのがおわかりいただけるだろうか(5行目は日付と署名)。

 拙著では、このコメントを彼の個人的な心情のあらわれと解釈したので「俺」と訳したが、もう少しパブリックなメッセージと考えるのもありではないかと思う。というのも、シンドラーはしばしば既存の作品やテキストに対してこの手のツッコミを書き添えており、たとえばチェルニーが書いたベートーヴェンに関する覚書風のメモについても、細かな字でツッコミのコメントを入れている。上記の書き込みも、これら一連のツッコミ作業の一環として行われた可能性もありそうだ。それくらいに、このコメントは冷静であり的確である。

「作品の至らなさを認めているのにとうとう捨てられなかった」(貴重な史料である会話帳は捨てたのに!)という事実をどこまでロマンティックに受け取ってよいのかはわからない。彼の身辺処理は、あの手の犯行をおかしている割に、必ずしも完璧ではなかった。ベートーヴェンから彼宛に送られた、あまり愛があるとは感じられない手紙の数々なども、捨ててしまえばよいのに残してあるのだ。彼の書斎は、残したいものの残したくないものが折り重なってかなり混沌としていたのではないかと想像する。

 ただ、こんな仮説は立てうるだろう。シンドラーは、自分が1830年代にあえてピアノ・ソナタを書いたという事実をどこかに残しておきたかったのではないか────と。1830年代はピアノ・ソナタというジャンルが衰退し、より小品、あるいは脱形式的な作品が好まれるようになった時代である(若い世代のショパンシューマンもピアノ・ソナタを書いているが、数としてはわずかだ)。この時代にソナタを書こうというのは、感覚的にいえば非常に浮世離れしている。ベートーヴェンの弟子のフェルディナント・リースのように、ソナタ作品をライフワークとして50あまり書いてきた音楽家さえも、この頃にはソナタの創作にほぼ終止符を打っているのだ。

 識者の方にこの浄書譜をお見せしたところ、出版ではなく演奏用の浄書ではないかという返答があった。出版可能な作品ではないことは、シンドラー自身も最初からわかっていたのだ。では実際に演奏の機会はあったのかというと、それもはっきりしていない。もしあったとしても、「自嘲コメント」を表紙に直接書き込んだ1854年の時点で、その可能性も放棄したということになるだろう。彼はこの作品を、失敗作であると見なし、(音楽作品として)日の目を見る機会はないと確信していたにもかかわらず、処分せずに、ただ残したのである。ただ────。それは彼が、ソナタの全盛期、すなわちベートーヴェンの生きた時代を強く愛し、その時代の音楽精神に忠義を尽くす人間であることを自ら表明しておきたかったからではないだろうか。

 私がそんな考えを抱くに至ったヒントについて記しておきたい。2年前、通りがかった大学の文化祭で漫画研究部の展示を見た。過去数十年分の部誌が年代順にずらりと並んでいる。そこに広がっているのは、おどろくほどリアルな漫画変遷史だった。萩尾望都風、吉田秋生風、あるいは種村有菜風。部員たちが、自身の敬愛する漫画家から、どんな様式美を学びとって自分の作品に活かそうとしているか。そのことがまざまざと感じられた。プロだからアマチュアだから、うまいから下手だから。それは必ずしもことの本質ではない。アントン・フェリックス・シンドラーのピアノ・ソナタも、そのような強い敬愛に端を発する社会的・文化的な一現象として位置づけるべき作品なのではないかと思う。*2

 

 

 最後に。内藤さんが、鍵盤の上であらゆるツッコミを封印して真剣にこの曲を演奏してくださったことが、このコンサートの最大の価値であったと思う。内藤さんのあの真剣さがなければ、作品のかわいさ(この作品はとてもかわいい)にひとしきり苦笑したりツッコんだりした後に、「ああヤバい、もう少しちゃんと説明しておかねば」という思いが生まれることもなかっただろう。シンドラーの言い回しをあえて借りるならば、「私はいまではこの作品に対してそういう考え」である。

 

 

www.kashiwashobo.co.jp

*1:彼が書いたミサ曲は上演実績もあり評判も悪くなかったということなので、より向いているジャンルもあったのだろう。きっと。

*2:といっておいて何だが、ただの現象と称するにはあまりに「シンドラーらしい」というか、2世紀を超えて彼のパーソナリティーに対峙するような生々しさも秘めているのがこの作品だと思う。「この作品を知らずしてシンドラーを語るなかれ」くらいの気分になってしまっている今日このごろ。あと、「罰に値する高慢さ」とは決して思わないよ、私は。

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