かげむし堂

音楽と、音楽家と、音楽をめぐる物語について。

40代、あるいは1810年代のベートーヴェンのが失ったもの@「ベートーヴェン 音楽の恋文~遙かなる恋人へ」月瀬ホール(2017.2.12)

遅ればせながらのレポートですが。
去る2月、自由が丘・月瀬ホールで開催されたコンサートのトークゲストとしてお招きいただきました。

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趣向を凝らしたプログラミングでおなじみのピアニスト・内藤晃さんがこのたびセレクトしたテーマは、ベートーヴェンの「不滅の恋人」

宛先のわからない全3信の恋文が、ベートーヴェンの部屋から発見されてはや190年。彼の秘書アントン・シンドラーが半ばやけっぱちで公開に踏み切ってしまったばかりに、セイヤーからソロモンに至るまで、名だたる研究者たちが、その宛先の女性をめぐって泥沼の大論争を繰り広げ、もはやベートーヴェン研究の世界において一大ジャンルといっても差し支えないほどに巨大化。10人を超す「恋人候補」が出現したものの、未だ「真の恋人」の発見には至っていない、……

そんな(ある種の)業に満ち満ちた「不滅の恋人」論争

ベートーヴェンの周辺人物たちを愛でてやまない私ですが、実をいうと、「不滅の恋人」は、できれば避けて通りたい苦手なテーマでした。

あまりに論争が白熱化しすぎていて、触れるのも恐れ多いような、正直ちょっと引いてしまうような、そんな気持ちもありました。また、私自身にとっては、ベートーヴェンまわりの重要な人物といえば、彼の耳の代わりに音を奏でたアーティストたち、ビジネスを共にした出版人やピアノ製作者たち、死後の楽聖像の形成に大きな影響を与えることになる側近たちといった「音楽業界の面々」であり、追求するなら恋人なんかよりそちらの方がずっと面白いのに(もっとリソース割いてくれよ)と思っていた…ということもありました。

何より、そもそもシンドラー1840年に手紙の公開に踏み切ったのは、明らかにその2年前にフランツ・ゲルハルト・ヴェーゲラーとフェルディナント・リースが発表した「覚書」へのマウンティング行為だし、もっとツッコミを入れてしまえば、ベートーヴェンはたぶんこのラブレターをうっかり捨て忘れたわけではなく「わざと」発見されるように残しておいたわけで(←これはまた別の機会に書きます)、もうね、後世のみんな、ベートーヴェンの自意識の手のひらでコロコロ転がされてるだけなんですよ。そんな皮相的な戯れに愚直に付き合ってどーするんですか。かようなゲームはさっさとドロップして、ベートーヴェン本人すらも自覚していないような深層の真実を暴こう。

そのほうが楽しいじゃないですか!!!

と、まあ、あけすけに言ってしまうと、そんな風に思ってました。
このコンサートのお話をいただくまでは。

でも、そういうひねくれた見方は、必ずしも妥当ではなかったかもしれない。
そんな風に意識が変わりました。

2月12日。お客さまの表情を見渡せる贅沢な席に座らせていただき、内藤さんの知的かつ瑞々しいピアノと、鏡貴之さんの情感豊かなテノールに耳を傾けながら。

    *

「不滅の恋人」候補は、現在のところ、アントーニア・ブレンターノとヨゼフィーネ・ダイムの2人にほぼ絞られています。

このたびのプログラムは、前者のアントーニア・ブレンターノ説をベースとし、

……など、ベートーヴェンと彼女(あるいはブレンターノ家)との交流を示唆させる曲を中心とした構成。

「楽譜を見ると、意味ありげな音楽的指示がとても多い」とは、内藤さんの談。

とりわけ1816年に書かれた「遥かなる恋人へ」は、“愛するひとの喪失というテーマを、歌詞の上でも音型の上でも、直情的といってもよいくらいにストレートに綴った作品です。

第1曲と第6曲の最後の部分、つまり

 Denn vor Liedesklang entweichet
 jeder Raum und jede Zeit,
 und ein liebend Herz erreichet
 was ein liebend Herz geweiht!

 なぜなら 歌のしらべは
 私たちを隔てる時空を消し去る
 そして愛する心は届けてくれる
 愛する心が捧げたものに

と、

 Dann vor diesen Liedern weichet
 was geschieden uns so weit,
 und ein liebend Herz erreichet
 was ein liebend Herz geweiht.

 そして これらの歌は
 私たちを引き離すものを消し去る
 そして愛する心は届けてくれる
 愛する心が捧げたものに

は、なんと、ベートーヴェン自身の作詞であるという説もあります。

また、青木やよひ氏の解釈によれば、第6曲のこの箇所のメロディは、4年後に書かれた「ピアノソナタ第30番 ホ長調 Op.109」の第3楽章にも類似した形で現れますが、このソナタは、他ならぬアントーニアの娘に献呈されているのです。

    * 

「不滅の恋人」論争に学術的な意味での決着がついていない限り、この作品を、アントーニアへの恋情の産物と断言することはできないでしょう。
けれど、だからといって、この作品から、ベートーヴェンの生の軌跡をそっくり取り去ってしまうこともできません。

なぜなら、「不滅の恋人への手紙」(1812年)から「遥かなる恋人へ」(1816年)に至る、40代の、あるいは1810年代の数年間。

彼が失ったのは、必ずしも「恋人」だけではなかったからです。

    *

たとえば、「不滅の恋人への手紙」が書かれた1812年

それはナポレオンのロシア遠征の年。彼はこの遠征に失敗し、それは、2年後に迫る彼の敗北と退位の大きな前兆となりました。
ベートーヴェンのナポレオンに対する感情は、非常に複雑なものがありました。当初は熱烈な支持者だったものの、彼が皇帝になったというニュースを聞いて激昂し、交響曲第3番の表紙から献辞を消し去ったというエピソードはあまりに有名です。

それでも、フランス革命の混沌とした渦の中から姿を現し、世界を変革し掌中におさめようとひた走った同世代の政治家の夢が無残に破れたことはベートーヴェンにとっても少なからずショックだったのではないでしょうか。

キンスキー(1812年没)、カール・リヒノフスキー(1814年没)、ロプコヴィッツ(1816年没)など、彼を長年にわたって支えてきたパトロンたちが亡くなったのもちょうどこの頃です。彼は収入と活動の場を失い、困窮に陥ってしまいます。
ベートーヴェン室内楽作品を多数演奏してきた友人のヴァイオリニスト、イグナーツ・シュパンツィヒも、新たな収入源を求めて、ウィーンを離れてしまいます

弟のカスパル・カールを亡くしたのもこの時期(1815年没)です。

それから、耳疾が勢いを伴って悪化したのもこの頃です。1812年の時点では、まだ道具に頼らずともコミュニケーションを取ることができていましたが、1816年には、すでにメルツェルのラッパ型補聴器を使っています。その2年後には、ほとんど聴覚を失い、筆談に頼らざるを得なくなりました。

 

ベートーヴェンの人生の根幹を成してきた、ほんとうにたくさんの、かけがえのないものたちが、彼の手を離れ、遥か彼方に永遠に去っていってしまった。

その痛みと哀しみ、そして自らそれを慰めて希望を促そうとする心が、「遙かなる恋人へ」という作品のなかに現れている。

それは、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが、40代、あるいは1810年代に失った数々の大切なものたちへの追悼の歌であり、1824年の「交響曲第9番」へと至る、細くあえかな光の道の出発点だった。

「なぜなら 歌のしらべは 私たちを隔てる時空を消し去る」という、その言葉どおりに。

    *

自由が丘の私邸の、白く明るいホールに響く、ピアノとテノールの調べに耳を傾けながら。

あらためて、そのことに気付かされた、そんな忘れがたい1日でした。

 

補足:「不滅の恋人=アントーニア説」に基づく諸論はこちら。

ベートーヴェン〈上〉

ベートーヴェン〈上〉

 

アントーニア説の(事実上の)提唱者、ソロモン大先生の大著。

ベートーヴェン〈不滅の恋人〉の探究―決定版 (平凡社ライブラリー あ 21-1)

ベートーヴェン〈不滅の恋人〉の探究―決定版 (平凡社ライブラリー あ 21-1)

 

「不滅の恋人への手紙」と彼の1810年代の作品群の関係性についても触れられています。 

秘密諜報員ベートーヴェン (新潮新書)

秘密諜報員ベートーヴェン (新潮新書)

 

 「不滅の恋人への手紙」を政治的な密書であるとみなした斬新な解釈。「1810年代のベートーヴェンのが失ったもの」に対して驚くべき視点を与えてくれます。

 

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