「英雄の運命」@よみうり大手町ホール~ベートーヴェンとゆかいな仲間たち、とうとう2.5次元デビューを果たす…ベートーヴェンファン目線からの感想(2016.9.18)
※注:この記事には、「英雄の運命」に関するネタバレが多数含まれています。あらかじめご了承ください。
ミュージカルファン兼ベートーヴェンファンのフォロワーさんからの情報で、幸運にも観る機会に恵まれました!
「英雄」シリーズ第3弾が決定しました。
今度の英雄は、ベートーヴェン。
スーパー自己中と噂されるベートーヴェンの実態と、けれどその才能にほれ込んだ周囲の人間たちによるコメディ。
「ベートーヴェンファン」サイドに属する身として、140字で感想を言っちゃうと、もうホントこれ↓に尽きます(´Д⊂
ミュージカルファンの女性たちが!!!ベトベンファミリーのわちゃわちゃを見て、楽しんでる!!!萌えてる!!!笑ってる!!!なにこの夢の空間……理想郷……エデン………恍惚…………これだよこれ!!!うまくいえないけどこれだ……これなんだよ!!!!!(*´Д`*)←鑑賞中のわたし
— かげむし (@kage_mushi) September 18, 2016
いやほんと、ヲタ界でいえば、「音楽家」ものって、歴史系のなかでも少数派、わりとすごくマイナージャンルなわけですよ。たま~に商業誌に漫画が出てくると大歓喜、しかし2.5次元みたいなメディアミックスなんてもうキラキラすぎて他人事だったわけですよ。テニミュとかほんと楽しそうで羨ましすぎたけど、われわれの現実と乖離しすぎていて直視もできなかったわけですよ。
なのに。
なのにーーーーー!!!
愛してやまないわれわれの子(ベトベン、ツェルニー、シンドラーetc.)たちが、このたび2.5次元デビュー!!!!!!
しかもいまをときめくイケメン俳優さんたち(テニミュご出身者含む)によって!!!!!!
ありがとうございますありがとうございまs
で、「英雄の運命」がどんな物語だったかというと。
「英雄の運命」の登場人物は5人。ベートーヴェン、弟子のツェルニー、甥のカール、ベートーヴェンファンの音楽家シューベルト、秘書のシンドラー。
ベートーヴェンの死後、彼の「伝記」の執筆をめぐって、生き残った人々(と、死んだ人々)がすったもんだするというコメディです。
いま現在、いちばん有名な「ベートーヴェンを描いた創作作品」というと、おそらくゲイリー・オールドマン主演の映画「不滅の恋 ベートーヴェン」ではないかと思います。実はこれも、秘書シンドラーが、ベートーヴェンの死後、彼の人生の真相をめぐって奔走するというストーリーなのですね。
ですが、今回の「英雄の運命」。90年代に作られたこの映画の丸写しの脚本ではなく、ちゃんと壊すべきところを壊しに来てる。
先ほど、ヲタ界ではベートーヴェンはマイナージャンルと申し上げましたが、もちろんクラシック音楽あるいはハイカルチャーの文脈でいえば、ベートーヴェンというのは一大ジャンルで、文芸作品から銅像から映画に至るまで、いろんな作品があったりします。そして、ベートーヴェンの人物像の描写は、実は19世紀から現代に至るまで、かなり大きく変化しているのですが、この「英雄の運命」の脚本は、ちゃんとその流れを踏まえて、かつ、立つべき最前線に立っている。
それがどこまで意図的なものなのかはわかりませんし、ただの邪推じゃねーかみたいなところもあるでしょうし、むしろ8割は邪推と思っていただけたほうが適切かとも思うんですが、末席の一ベートーヴェンファンがこのたび舞台を鑑賞して「お!?もしかしてこれ新機軸じゃね?」とハッとしたポイントを、3つ、書き留めておきたいと思います。
1 なぜ秘書が「オネエキャラ」なのか
ベートーヴェンを扱った創作ものにおいて、彼の女性関係というのは三番手くらいに重要なファクターで(なぜ重要になったかということを書くとすっげー長いので省きます)、エレオノーレとかジュリエッタとかテレーゼとかヨゼフィーネとかその他の誰それとかとの、さまざまな女性とのラブストーリーが人生に華を添える(哀愁を添える?)のが定番なんですが、ただただ恋愛させるだけじゃつまんなくね?っていうんで、時代によって色々なバリエーションが出てきます。
近年では、マッチョなベートーヴェンとうら若きヒロインとの恋愛劇とかフェミ的にだいぶアウトでしょ的な価値観とともに、「ベートーヴェンを秘書(的な役)としてサポートするが、恋仲にはならない」というニュータイプのヒロイン像が出てきます。映画「敬愛なるベートーヴェン」や、舞台「No.9-不滅の旋律-」がその系譜にあたります。(というか、この2つしか無いんですけど、まあどっちも外さざる近年の大作ってことで)
ただ、史実上は、男性の秘書役ってちゃんと実在するので、ヒロインをその役にしちゃうと、史実の男性が物語の中からいなくなっちゃう。でも、この実在の男性秘書たちこそが、ベートーヴェンの死後に伝記をめぐってすったもんだした張本人たちなわけで、実は物語の外に追いやっちゃったら面白くない。というジレンマを(潜在的に?)踏まえた上での、いわば折衷的な「秘書=シンドラー=オネエキャラ」という造形なのではないかと。
女装したシンドラーを見て、ほかの登場人物たちは「まさかおまえ(=シンドラー)がオネエだなんて!」と驚くわけですが、上記の文脈を踏まえてみると、「まさかおまえ(=秘書)が元・男だなんて!」という逆照射的なカミングアウトをしているようにも見えてくるわけです。そう、秘書はそもそも男だった……(まぎれもない史実)。
2 なぜ「本当はベートーヴェンの耳が聴こえていたというウソ」というウソ が必要だったか
で、このたびオネエキャラとして舞台上で堂々とカミングアウトを果たした秘書ことシン・シンドラー(?)ですが、この人物が、ベートーヴェンの初期の伝記執筆者であり、またベートーヴェンを美化するためにいろいろと無茶な大嘘こいた人物であるというのは史実です。
ただ、彼が「本当はベートーヴェンの耳が聴こえていたというウソ」をつこうとした、というのは史実ではありません。ではなぜこの「(フィクションを騙るという)フィクション」がわざわざ「英雄の運命」の中に、メインテーマとして挿入されたのか。それはやっぱり、21世紀のクラシック音楽界の一大事件であるコレを踏まえていたのではないかと。
ゴーストライター問題で話題となった佐村河内守のドキュメンタリー!映画『FAKE』特報
「現代のベートーヴェン」を自称する佐村河内守氏が起こしたこの事件は、ゴーストライティングの是非のみならず、「彼自身の難聴がどこまで真実なのか」という謎にまで飛び火し、最終的には、後者のほうがより倫理的に深刻な問題として取りざたされました。
「英雄の運命」にも、この事件が色濃く反映されていると仮定するならば、
ベートーヴェン「僕の曲はハンデを乗り越えて書いたものであってはならない」
シンドラー「あなたの曲を聴いているときは、あなたが耳が聞こえないなんて思わない」
(記憶を元に書いているので少し言い回しが違ったらスミマセン)
このあたりの台詞、かなり象徴的に佐村河内事件を暗示(ないし告発)しているように聞こえてきますし、同事件をベートーヴェンの伝記創作に取り入れたはじめての作品ということになるかもしれません。
3 ツェルニーというキャラクターをなぜ登場させたか
シンドラー、甥カールあたりはベートーヴェンの伝記創作ものの定番キャラですし、シューベルトに関しても、TEAM-NACSの舞台「COMPOSER ~響き続ける旋律の調べ~」で登場歴があったりします。
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一方、それと比べると、ツェルニーってけっこうレアキャラなんですよね。まあ、ベートーヴェンの前半生はさておき、後半生はあんまり絡みないし、性格もマジメなコミュ障なんで、使いようがないんだと思います(ひどい言いよう)。秘書的な立ち回りもないし、それ系なら代替キャラがいっぱいいるし。
……と思ってました。「英雄の運命」を観るまでは。
ちゃんと役割あるじゃないですかあああ。「甥カールとの痛み分け」という超大事な役割が!
えっと、前提として軽く触れておきますと(ちゃんと話すと一冊の本になるくらい長い)、おおむね20世紀中盤までは、ベートーヴェン伝のメインストーリーってもっぱら「難聴を患った苦悩とその克服」で、その偉人伝のトッピングとして、女性たちとの恋愛劇あり~の、美しい友情あり~の、みたいな感じでした。ところが20世紀も後半になると、ドイツの敗戦とか精神分析が流行ったりとかいろんな影響で(長いので略)、ベートーヴェンを偉人として描くのやめちまえ的な動きが出てきて、メインストーリーがだんだんと「甥っ子への虐待問題」に移行していくわけですね。
ところが。多くの創作において、いわゆる親子間の虐待連鎖をわかりやすく描こうとするために、「ベートーヴェン自身が父親にそうされたように」「甥っ子にスパルタ音楽教育をほどこして無理やりピアニストにさせようとした」というストーリーが用いられているのですが、これ、後者に関しては、映画「不滅の恋 ベートーヴェン」がきっかけとなって一般化されてしまった(と思われる)創作で、史実ではないのですね(実際には、ベートーヴェンは甥っ子を音楽家にさせる気は当初からあまり無く、虐待はより日常的な事柄に対して行われていた)。私自身はこれがかなり残念で、「うーん、でも、わかりやすくするためにはこうするしかないのかなあ…」と思いながら色々な創作に触れていたわけですが、このたびの「英雄の運命」で、甥っ子とツェルニーがともに「自身の音楽の才能に関してコンプレックスを抱いた人物」として描写されているのを見て、なるほど、これならすっごい納得できる……!!!と思った次第です。
なぜなら、ツェルニーは実際に「ピアニストとして将来を嘱望されながらも、結果として別の道を歩んだ人物」だからです。
彼はフェルディナント・リースと並ぶベートーヴェンの二大弟子のひとりですが、コンサート・ピアニストとして期待通りに駆け上がっていったリースとは対照的に、その道に見切りをつけ、結果的には教師と作曲の仕事で大成していった人です。ベートーヴェンからのピアノ協奏曲の演奏依頼を断ってしまったという事件もあります。だからこれまでの創作のなかで(フィクションとして)描かれてきた、甥カールの「自分には才能なんかない」という苦しみは、史実上で誰の苦しみにもっとも近いかといえばツェルニーの苦しみなんですよね。これは長年のツェルニーファンからしても(?)、かなり、目からウロコの発見!ですし、甥カール問題の文脈でツェルニーという存在がもっとクローズアップされてくるとおもしろいぞ、と思った次第です。
他にもいろいろと目に留まったポイントがあったのですが、書ききれないのでこのへんで。
いやでもほんと、昨年、「No.9-不滅の旋律-」を観たときも感じたのですが、ベートーヴェンに関する創作って、ここ最近、ちゃんといまの時代とともに呼吸して、おもしろい局面を迎えてきていると思います。しかも日本発なのがうれしい。もっともっと、いろいろな作品が増えてくれるといいなあ。規模問わず、プロアマ問わず。
このパンフレットとかもね。クラシックファンにとって、非常に心ニクい。こういうのうれしい。
おまけ
も、も、もしかして「英雄の運命」をご覧になって、その流れでこちらを読んでくださった非クラシック音楽クラスタの方もいらっしゃるかもしれないと思ったので、「ベートーヴェンとその周辺人物の楽しいわちゃわちゃ」を楽しめる創作を紹介しておきます。
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こちらはかなり珍しい、ベートーヴェンとツェルニー師弟をメインキャラクターとしたギャグ要素ありいのミステリーで、これきっかけにベートーヴェン界隈に転んだというヲタ氏は多く私もそのひとりです。萌えます。
手前味噌ですみませんが、個人的に関わらせていただいた4コマ漫画で、こちらはベートーヴェンと、「英雄の運命」には登場しないリースとの師弟関係をメインにしています(ツェルニーと、ちょこっとシンドラーも出てきます)。
ちなみに、「英雄の運命」のなかで、シンドラーやツェルニーのものとして語られるエピソードのいくつかは、史実上はリースの身に起きたエピソードです。具体的にどの部分になるかは、こちらをお読みいただければわかるはず…。
ベートーヴェンの「男性秘書役」(つまりパシリ)たちについて知りたい方はこちらもぜひ(゚∀゚) ※IKEさんとの合作による同人誌です